患者はものじゃない!
先日こんな事がありました。
ICU/HCUが満床で夜に一つベッドを空けておきたい。だから、夜だけ病棟に転棟して翌日にまたHCUに戻ります。
「は?何考えてるねん、患者はモノちゃうんやぞ!」
当院では24時間断らない救急という謳い文句があります。
しかし、それを続けるともちろん病院は常にほぼ満床、つまりベッドの数が少なくなります。
特にICUやHCUはすぐにベッドがうまってしまう事が少なくありません。
その場合もちろんICU/HCUのベッドを優先的に空ける必要があるので、
押し出しと言って満床一歩手前で病棟に転棟といって移動するんですね。
正直その場合でも、患者の状態は完全に安定していない事が多いので、病棟は忙しくなりますし、
夕方でも夜でもこの押し出しをする事があるので、病棟の看護師はもちろん、ICU/HCUの看護師、何より患者も負担となります。
しかし、それでも理解できるところもありますし、仕方がないと思ってやってきました。
ですが、今回はひどすぎる!
それを許可した医師(副医院長)も看護部上層部も何を考えているんだと思って冒頭の発言をしてしまいました。
病院を運営していくために患者を断らず、入院患者を減らしてはいけないと考えているのかもしれない。
飲食店でいえば、食べにくる客=患者と考えれば(こんな考えゆるされないですが)
そりゃ客を断らず増える事は大事なんでしょう。
ただ、その場合でも
「今うちの店空けときたいから、少しだけ隣の店に行って後でまたうちの店に戻ってきてくださいね」
とかいわれたら「は?」となるでしょう!?
俺が患者の家族だったら文句言います。
「どういう意味ですか、何考えてるんですか?その間何かあったらどうするんですか。
そんなモノみたいに扱わないでください」と。
言わしてもらえれば、今回の件は完全に患者を数字の一つやモノとしか考えていないとしか思えない。
そして、働くスタッフの事も全く考えていない。
こういう事の積み重ねが負の連鎖を招く事を考えてほしい。
ナイチンゲールは環境整備の重要性について語っています。
環境を整えることで、患者さん自身が持っている回復力を向上させ、治していこうというものです。
これは何も患者にだけ適応される事ではないと僕は考えています。
病院で働く看護師の環境、つまり病院全体の環境にも適応されるものであると考えています。
病院の環境が良くなければ、そこで働くスタッフは病んでしまう。
これは身体的な意味での病むだけではなく、精神的な意味も含まれます。
病んだスタッフが質の高いケアを提供できるでしょうか?
出来ませんよね。
出来なければ、もちろん患者への影響も考えられます。
では、環境が良ければどうでしょう?
僕はこの逆の事が起こると思っています。
環境が整うことで、看護師は健康となり質の高い看護が提供できる。
僕はそう思っています。
病院全体の環境整備が必要なんです。
病院(hospital)とは
…もちろん原則としては医療より慈善が優位とされ,社会的弱者,とくに癩患者,孤児,孤独な老人などを収容する施設が,各地に設けられることになる。これらの施設は,〈お客host〉として扱うという意味で,ホスピタルhospitalとよばれることが多かった。もっともこの言葉は,宿泊所の意味をももたされ,教会付属の無料の巡礼宿をさすこともある。
医学より
巡礼や、戦地への遠征、そういった遠くから来た人が、食べ物や寝る場所に困ったり、けがや病気をした時に、現地の人が手を差し伸べたり、教会が傷ついた人のケアや看病をしたことが語源と言われています。
今一度病院という場所が本来どういう場所なのか、考える必要があると思います。
もちろん全部が全部このような病院ではないと思います。
病院の経営も大事だとは思います。
しかし、今一度考えてほしい。数字やコマではなく、働くスタッフも人間、患者も人間であることを。